ジェルコの履歴書

Resume Of JERCO

2020/10/02 ジェルコの履歴書

ジェルコの履歴書 株式会社フレッシュハウス③ 其の弐動画

【教育の基本は掃除】

いつも行き当たりばったりでどうしたらいいのかと悩んでいた頃、ジェルコに入会した。

ジェルコの会員になると、会員同士気軽に交流できるようになる。様々な企業と情報交換や交流をしてとても勉強になった。

訪問させていただく企業さんには「朝礼を目掛けて行きます」と伝えた。1番大切なのは朝礼、その次は掃除。予め朝礼の始まる時間を聞いておき、始まる1時間から30分前には玄関先で訪問先企業の様子をうかがうようにしていた。

入会して間もなく、明石の会員さんを訪問した。

会社のすぐ傍に朝早くから開いている喫茶店があったので、モーニングを食べながら会社の様子を見ていた。始業時間8時半になっても一向に社員が来ない。待ち合わせの時間になったので訪問したが、後から続々と社員達が遅刻して入ってくる。掃除もやっているのかやっていないのかわからない。この会社はダメだなと思った。

当社ではトイレは私が掃除していた。今も現在の社長がトイレを掃除している。

女子トイレも掃除していたが、流石にそれは妻に注意されてやめた。

日本電産の永守さんの本が好きでよく読む。永守さんの本にも教育はトイレだと書いてあった。トイレで会社が日本電産のように大きくなるならと思ったのが掃除を始めたきっかけ。朝の8時半になると3曲音楽を流す。その時間社員全員掃除している。今はトイレの神様と365歩のマーチともう1曲かけている。そうすると15分ぐらい経過する。その次に朝礼という流れになっている。

トイレの棚が汚れていると目につく。何故かというと、立ち上げ当初は馬小屋にいたので汚くてお客様を呼べなかった。お客様を呼べるようになって有難いと思う。来ていただいたからには、ちゃんとおもてなしをしたいと言う気持ちからでそれが教育にも繋がる。

神奈川県茅ケ崎市に松下政経塾がある。松下さんのPHPの人達と仲良くなり、たまたま話した人が当時の塾長が佐野尚見さんだった。佐野塾長が「教育の基本は掃除だよ」とおっしゃったので、講習会をお願いして重役社員と1日講習を受講した。

受講当日の朝、松下政経塾の門まで行くと皆で掃除していた。松下政経塾の施設内は木が鬱蒼としている。それには理由があった。施設に植えられている木は1年中緑で1年中どこかで葉っぱが落ちるようになっている。掃除することを学ぶためにわざと1年中葉っぱが落ちるように植えられていた。掃除ひとつできないような人間は何もできない。

当社内は掃除が行き届いていていると今でも自信がある。

 

【死の瀬戸際を体験】

2005年創業して10年目に大きな病気を患った。5月27日に入院した。入院する1週間前にジェルコの会長が来訪されたことをよく覚えている。

潰瘍性大腸炎という難病になり、病気の原因を聞いたら主にストレスだと言われた。自分ではストレスは与える方だと思っていて、ストレスは感じていなかった。単純にストレスだけが原因ではないらしく、完治しない難病なので今も上手く付き合っている。病気になる前は90Kgぐらいあった体重が、入院時は50Kgぐらいまで落ちた。3カ月の入院期間中はほぼ歩かなかったので足が退化して歩けなくなっていた。退院直後に社内(従業員数200名)の全体会議があるため、車椅子で参加した。髭も伸び切って痩せ細り変わり果てた姿に従業員達はどこのお爺さんが来ているのかと不思議そうな顔をしていた。段々と社長だと気づき始め、もうこの会社はダメなんだと思ったらしい(笑)女性社員の中では泣いていた人も居たと言う。

入院中は栄養失調で頭がぼーっとしていて、目の前が黒くなって見えなくなってくる。横になるといくらか見えるようになる。輸血をしなくてはならい状態になり、当時はエイズが怖かったがそんな事も言っている状況ではなく、輸血の承諾サインをして大量に輸血をしてもらった。痛みが酷すぎて眠れないのでモルヒネを打ってもらったこともあった。外傷ではなく内臓の痛みは本当に気持ち悪い。退院してもしばらく痛み止めを投与してもらっていた。

輸血の他には、人工透析もした。相部屋の人は明日居なくなってしまうような人ばかりで生き地獄であった。不思議な世界、いわゆる臨死体験もして死の瀬戸際にいた。病室で寝ていたら天井が波打って歪んで見えてきて変だなと思ったこともあった。その時突然ドアが開き、大勢の人が病室に次々入ってくる。夜中なのに人がどんどん入ってきて部屋が人で満員になった。それから、ベッドで寝ている私をみんなが上から覗いて見ている。何も喋らないで一晩中ずっと私を見ていた。男の人が多かったと思う。その人達は朝方になるとどこかへ帰る。その中に私の妻もいた。妻は病室のカーテンを開けてくれた。現実と不思議な世界の狭間にいた。昼間でもその人達中の2、3人は帰らないで病室にいた。夜になるとまた大勢の人が病室に入ってきた。その現象が言葉通り三日三晩続いた。意識が戻った時、主治医の先生に大勢の人が夜中に来たと話したら「そういう話は時々聞くけど、この部屋で人はそんなに死んでませんよ」と言われた(笑)今その先生は当社でリフォームを何回もしていただいているリピーターのお客様です。