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2020/12/09 ジェルコの履歴書

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ジェルコの履歴書 其の参 株式会社OKUTA②

「1992年の初年度3.4億円、2年目で6.4億円」

                  創業当時の事務所

住宅リフォームという言葉がまだ市民権を得ていない時代、店の入り口に大きく書かれてあるように住宅修理をメインとして、初年度で3億4千万円を売り上げた。最初の年は1月22日に会社を登記、9月が決算だったので実質約8か月で3億4千万円となった。次の年は6億4千万の売上となった。出店する分右肩上がりの売上高となった。社員を増員していくのに合わせて不動産時代から続けてきた教育の文化があった。現場のOJTも見て覚えるだけではなく、現調方法などできる限り資料をそろえてマニュアルを作り新人を育てていった。その研修を私が担当した。
研修会場は会社の近くにあった酒屋さんの2階にある自治会の会議室を利用した。
入社した社員には初めに一括研修を受けてもらい、会社の理念や方針などを最初に学んでもらった。いきなり現場へ出してしまうと、現場の責任者判断に依存されてしまう。そのため、最初に会社の方針とか念いとか覚えてもらって、それについていけるかどうかを確認してもらいながらやっていった。企業というものは、はじめはビジョンがなくてもいいが、方針が確りしていないと問題を引きおこす。今はカレッジとして研修がプログラミングされてネットも活用しながら行っている。2018年には、一般社団法人リノベーション専門学校を設立するまでに至った。

     さいたま市にあるリノベーション専門学校とHandyman研修センター

「価格の透明性を目指したメニューチラシによる反響営業」

94年頃にはOKUTAのメニューチラシを模倣した競合が埼玉で目立つようになっていた。96年頃にはそのチラシ手法は全国を席捲していった。メニューチラシはリフォーム業界に破壊的イノベーションを起こしたとも言える。実際リフォーム市場は91年頃には約4兆円ぐらいだったものが、96年頃には6兆円近くまで伸びている。
ジェルコへ入会したのは95年頃だと思う。当時ジェルコの講演では「小工事は大工事にならない」というような言葉を聴いたが、我々は「一点突破全面展開」を合い言葉にしていた。しかしこのメニューチラシが問題視されジェルコへの入会を一年ほど断られ続けた。ジェルコとしてはリフォーム市場を荒らしていると判断したようだ。このメニューチラシは市場に対し価格の透明性を目指し消費者利益になることを目的としていたつもりだが、ジェルコの先輩方にはそうは映らなかったのだろうと思う。だが入会を否定した先輩会員も後に同じようなメニューチラシを巻くようになるのだから、消費者志向には抗えない。

情報の非対称性が埋まり今や車や不動産までインターネットのオークションで売買できる時代だ。情報の非対称性とは、「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、情報にかい離があること言うが、情報の非対称性が小さくなれば市場が活性化する。消費者が気軽に手を出しやすくなるためだ。Amazonや楽天などオンラインショップ等のECサイトによりアマゾンエフェクトが起きている。実際の現物を見なくても商品の使い勝手などネットである程度知る事ができるし、さらにネットの方が安いから、量販店は単に現物を確認するためのショールームと化していくだろう。メニューチラシによる価格の透明性を消費者は待っていたので、工事代金が少々市場より高くても受け入れられた。その後競合他社によるメニューチラシが乱立し、不可能な不当廉売的な工事価格をチラシに記載されるようなことも起こった。年を追うごとに価格競争は熾烈を極めるようになり、危惧しだしたのは2000年頃だった。とは言えOKUTAの業績自体は好調で、2001年には設立から10年周年を迎え、売上高は35億円となった。

「ターニングポイント「量から質への転換、そしてLOHASへ」」

2001年に高速道路の料金所に時速200キロで激突大破するという、大きな交通事故にあい、その事故で運転していた親友が亡くなった。今だから言える事だが、自分は頭部を強打して、親友の名前が思い出せない事や、自分の書いたノートの文字が解読できないような断片的な記憶喪失と言語の障害が残ってしまった。今では少々アホになってより右脳人間になったと笑って言えるが、時に亡くした親友のことを思い出すと胸が痛む。その心の傷と言語的なリハビリには時間がかかった。バリバリの社長業は難しいと考え社長から会長になることにもした。リハビリをかねて社会問題から環境問題、さまざまな本を読み漁った。レスター・ブラウン博士の「エコ経済革命」という本を読んでとても衝撃を受けた。自分たちの仕事が環境問題にも関わっていることを知り自分の会社の存在意義を根本から見直すことにした。それまでは質より量を追いかけて、社員満足度を高くするため、給料と休みの業界トップを目指すというスローガンを掲げていたし、ビジネス的な考えが強かったと思う。そうした売上至上主義を脱却し、顧客満足度を高めるためデザイン性の向上や施工の精度を上げていこうと決心した。環境ジャーナリスト中野博先生の「その家づくり、ちょっと待った!」という本や、船瀬俊介先生の「コンクリート住宅は9年早死する」という本などから、ビニールクロスが健康問題を引き起こすことと住宅の劣化を早める場合があることを知った。2002年に量から質への転換を目指し「脱塩ビ宣言」を行った。クロスメーカーさんは今でこそ紙クロスとか自然クロスを商品化しているが、当時は数えるほどか、まったく取り扱っていないメーカーもあった。クロスメーカーのお偉いさんがわざわざ来社され、その運動をやめてもらいたいという説得的圧力もあった。

              2002年リフォーム業界初「脱 塩ビ宣言」

 

2002年8月に今まで毎朝唱和した社訓を取り下げ「地球環境の原則を尊重する事業を目指す!」というミッション・ステートメントを発表する。この転換期に異を唱えた多くの営業社員がOKUTAを去っていったが、信念が揺らぐことはなかった。このことにより社員の専門的インテリジェンスは高くなり、品格は比べものにならないほど向上していった。
これ以降のOKUTAの経営をひと言で表すならば、「ミッション経営」である。

            最新のOKUTA Familyミッション・ステートメントVer4.0

 

LOHAS studioのブランディングを行っていた転換期の矢先、2005年に悪徳リフォーム詐欺事件と姉歯事件があり、風評被害によって2006年度の決算は前年度より11億6千万円減(前年比74%)の大きな影響があった。創業から初めての赤字となったが、一気にこれだけ落ちても耐えられる内部留保があって乗り越えられた。このころから本気でブランド力が必要だと思うようになった。チラシ反響営業をやっていた企業で体力のない会社はバタバタ消えていった。OKUTAは、折込チラシもインターネット広告もやっていて、中途半端な時代だったが、集客を折込チラシだけに頼った会社は軒並みだめになった。

このとき風評被害といえども財閥系の大手リフォーム会社の売上げは全く減っていなかった。大手の看板はやはり強かった。零細企業でも、ブランド力、デザインと性能が強い会社もあまり売上が減っていなかった。反対に知名度はあっても信用度が低いのはだめで、ただ名前が知れているとか、会社が芸能人を使って有名ですよと言われているだけではだめ。逆にいうとあの会社だったら安心だなと思わせることが大事で、そういうところが強かった。ブランディングの重要性に確信を持つことができた事件だった。それでLOHAS studioのデザインと性能を高めるために社員教育へ再投資することを決めた。2006年に某飲料メーカーから「い・ろ・は・す」が発売され、コンビニで最も売れている飲料水の名前が、LOHASを広めることに一役かってLOHASが一気に市民権を得た。CMで広く放送されLOHASの言葉の意味を説明する必要がなくなった。

エコロジーとか無添加ではストイック過ぎた。LOHASという言葉はちょっとお洒落で環境にも良い、そんな軽い感じがよかったので、たぶん受け入れられたのだと思う。雑誌の反響は大手さんとは引けを取らない。ブランディングは一朝一夕でできることでなく、全社員がそこに向かっていくことが必要。真のブランドを作るのは社員と顧客と取引先なので、経営者がどんなに躍起になってもできないし、ブランドに合ったスタイルも維持していかなければならない。また、ライフスタイルも変えていかなければならない。POWER NAPというお昼寝制度を設けたことも健康がテーマになっていて、LOHASを企業文化としている。家づくりだけにとらわれずに社員のワークスタイル、ライフスタイルまでかかわることで、環境や健康というテーマからお昼寝制度までつながり、さらに、業界一休みを増やそうとかの発想につながっている。今ではOKUTAのお昼寝制度は話題となり、毎年花粉の時期にはマスコミの取材が殺到する。それだけでも億単位の宣伝効果がある。

          業務中の仮眠を推奨する「POWER NAP制度」

「持続可能な企業へ改革」

今振り返ると、悪徳リフォーム詐欺と姉歯事件の風評被害、リーマンショック、3.11、消費増税、今回のコロナショックなど外因による影響が何度もあった。
今まで帝国データバンクなどによる競合他社の経営状態や財務的調査などあまり特別やったことがなかった。コロナ後の経営改革を行うために同業や競合他社の調査を行うことにした。今回OKUTAとバッティングするくらいの会社の社員数や社員平均年収、財務状況などを調べてみた。競合他社よりもOKUTAの粗利率と社員ひとりあたりの年収が一番高いのがわかった。競合他社との平均年収が100万円~最大150万円ぐらいも差があるのもあった。まさかここまで差があるとは正直思っていなかった。比較的粗利率が低くとも人件費の低い会社の営業利益が高い傾向にあった。また、人件費の高い数社は赤字に陥っている会社もみられた。OKUTAの場合人件費の高さが営業利益が低めになる要因だというのはわかって経営をしてきた。内部留保を厚くするより社員に利益を還元して投資するという部族経営の考えがあるからだ。部族経営については後で述べるが、給料と休みを充実させて社員第一主義というのが創業からのOKUTAの方針だ。優秀な社員にはそれに見合った報酬を支払うという考えで、「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」とOKUTA WAYにも明文化している。ひとりあたりの給料が高いのは優秀な社員が多いからとも言えなくもないが、しかしコロナ後の日本の現状を考えると、これからはより厳しくなるであろう事は想像に難くない。なぜなら、リフォーム市場は横ばいか良くて微増となるだろうが、日本経済は人口減少しているので多くの産業に過度の期待はできない。ゆえに異業種からの参入も増え、コンペテーターだけがますます増えることになる。そうなると顧客の争奪戦や価格競争はより熾烈になる。市場競争が熾烈になる中で、競合よりも高い人件費は競争優位とは言えない。
では給料はどのように決まるのか?という問いがある。マルクスは、取引するものはすべて「商品」であると説いた。そう考えると、労働力も「商品」だということになる。つまり、給料は、商品の値段の決まり方とまったく同じように考えることができるということで、市場によって変動するということだ。競合他社のどこよりも人件費を低くする必要など無いが、市場競争の中でLOHAS studioやHandymanなどOKUTAのブランド価値に見合う適正な人件費というものがあるはずだ。
固定給社員であるいわゆる間接部門は利益が出ても出なくともボーナス2ヶ月分相当とか決めていたが、一切それを廃止した。全社員が極限まで経費を削減し、その中で利益の最大化を目指す。その期末の利益のなかから成果給として支給する。従来あったボーナスのような成果給は固定給に入れず損益分岐点を極限まで下げて、経営の弾力性を大きくすることに決めた。つまり損益分岐点を僅かに超えた程度では従来のボーナス的な成果給は支給されない。また、営業部の歩合一部も期末の成果給とした。このことにより全社員が経費の削減と利益の最大化に直結する。そしてこの改革に全社員一丸となることを目指す。コロナ以降の経営のあり方としては従来通りの経営では通用しないと思う。コロナショックは経営を再構築するいい機会になった。コロナを機会に奥田はじめ経営陣も模範を示し倹約につとめていくと決めた。
この給料改革はより企業を持続可能にするため、既存の社員とこれから入ってくる社員のための改革だ。社員の理解を得るために、四半期ぐらいで、期末までの暫定的営業利益を明確化していこうと思う。固定費が高いと弾力性が小さいが、創業時は経営の弾力性が極めて大きかった。事務所家賃も安ければ、社用車もすべて中古車、営業社員の基本給15万円と歩合だったので変動費の割合が大きい。売り上げが上がれば上がるほど利益が薄くなるが、売上減収には極めて強い。中小企業は中小なりにアグレッシブに創意工夫してイノベーションを起こしていかなければ、本当に生き残れない時代になったのだと思う。

③へつづく・・・

          「passiv design」(グッドデザイン2015受賞)

      LOHAS studio 首都圏16店舗(2020年12月5日オープン予定の吉祥寺店を含む)