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2024/04/26 ジェルコの履歴書

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ジェルコの履歴書其の七 株式会社アイライフ③

ジェルコの履歴書其の七 株式会社アイライフ③

関東甲信越支部長になって

本部の理事になって何年か過ぎたある日、「中林さんは本部寄りの発言ばかりで支部のことがわかってない」と支部役員から苦情を言われた。谷口会長に相談すると、それでは支部の役員になったらどうかとアドバイスを頂いた。

支部役員となり活動していたある日、役員会で激しい議論になった。私は自分の考え方を遠慮なくぶつけた。それを聞いていた岩崎副支部長から、中林さん、そこまで言うなら支部長になってやったらいいじゃないか言われた。突然そのように言われ咄嗟に切り返すことばが見つからなかった。

その後しばらく経ったある日、TOTO横浜ショールーム会議室での役員会の席、会議終了間際、何の前話もないまま、高木支部長から「次の支部長は中林さんにやってもらいます」と宣言されてしまった。えっ!!と思ったが高木支部長には日頃色々お世話になっていたし、親しくしていたので、その場では何も言わず、数日後受ける気持ちを伝えた。

そして平成10年(1998年)支部役員会で正式に関東甲信越支部長に選出された。

支部長になって私が最初に取り組んだことは、それまで実践的な活動は地域ブロック単位でやっていたものを活動グループ中心に変えた。つまり自社で一番力を入れたいことをやっているグループに所属して活動するということにした。

新規活動グループがたくさん生まれた。これにより支部内の活動は活発になった。

その後、私は様々な提案をして積極的に活動を展開したが、そのなかで代表的なもの3つについて説明したいと思う。

 

「松陰を学ぶ会」を始める

 

支部長になって間もない1999年12月、私は「松陰を学ぶ会」を立ち上げた。

19歳の頃から松下幸之助や本田宗一郎等、様々な経営者の本を読んでいた私は

事業は世のため人のためになることをすること、正しい人の道を根本に置くことなどを学んだ。一方私は幕末の歴史に強い興味があり吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、坂本竜馬、勝海舟、土方歳三等々を描いた小説をたくさん読んでいた。その中でも幕末の志士達を育てた長州の吉田松陰は正しい人の道に徹していたこと、日本国全体の今後を考えるスケールの大きな生き方をしていたこと、そして人を育てることが上手だったこと等から吉田松陰を研究しようと決めた。

そこで、一人より大勢の方が楽しいと考え支部内の身近な人達に声をかけたところ、一人また一人と増え、最も多い時には15名を超える集まりとなった。

2年間吉田松陰ばかり研究した後、修学旅行と銘打って山口県萩市に2泊3日で繰り出した。

参加者全員知識に溢れていたので、現地に入ると案内人の説明に次から次へと質問したり研究したことを話した。一般の観光客が滞在する時間の3倍以上も一ヶ所に費やしたようだ。

吉田松陰の丸みを帯びた墓石は、質素ながら清潔感にあふれ松陰らしい味わいがあった。高杉晋作が幼少の頃遊んだ円政寺では、天狗の面を見、境内を散策するうちに賢そうな晋作の姿が目に浮かんできた。私は高杉晋作も大好きで、この時購入した自慢の長刀を手にし、椅子に座っている晋作の大きな写真を未だに寝室に張ってある。上海に行った時に撮ったものと聞いた。仕事がうまく行かず心が沈んでいる時に晋作の顔を見ると元気が湧いて来る。

松陰研究が一段落すると会の名称を「人間学研究会」と変えた。

最初の研究は上杉鷹山にした。この人は江戸時代中期の大名で出羽国米沢藩9代藩主、第35代米国大統領ケネディが日本人で一番尊敬している人物として挙げている人物だ。ケネディは窮迫していた藩を見事に蘇らせた鷹山の働きを米国経営に活かしたとのこと。ここでも私が一番大切にしている「正しい人の道」が出て来る。皆で鷹山の小説を読みながら研究を進めた。最後に現地ゆかりの地、米沢に研修旅行に出かけて知見を広げ楽しく過ごした。次に中国古典等を学んだ。特に印象に強く残っているのは「貞観政要」(じょうがんせいよう)で徳川家康が幕府経営に役立てた古典だ。経営者のあるべき姿をしっかり学べた。

この会は細田木材の細田社長と私の二人でまだ続いているから始めてから25年目になる。現在は櫻井よし子さんが理事長をしている「国家基本問題研究所」の賛助会員となり時々定例会に参加し、その後、食事をしながら会話を楽しんでいる。世界情勢が良くわかり一番大切な我が国の今後の在り方が深く学べる。この他この会にはたくさんの思い出が詰まっている。

沖縄支部設立

かねてよりジェルコは全国組織なのだから沖縄にも支部を作ろうと言う意見が本部役員会で出ていた。それが少しずつ熟し、まずは関東甲信越支部内で沖縄分会を作ろうということになった。その後、次のようなプロセスを経て沖縄支部は設立され動き出した。

 

2001年3月14日 沖縄ビジネスセミナーと相談会開催

2001年5月30日 第2回沖縄セミナーと相談会開催 間もなく関東甲信越支部内に沖縄分会設立

2002年3月12日 関東甲信越支部役員会in沖縄開催 大挙して沖縄に行く

2002年4月17日 理事会にて沖縄分会を支部に昇格が承認

 

沖縄支部設立には特にT&Tの比嘉社長がリーダーシップを発揮し、数人の協力者とまとめてくれた。

私は3回の沖縄行ですっかり沖縄が好きになった。セミナーには台湾に近い宮古島から(有)ホームパートナーの佐和田社長が参加していた。懇親会で佐和田社長と話をしていると、すぐに帰らず宮古島を案内するから寄って行かないかと誘われた。たいへんうれしく、そのような離島からジェルコの会員が生まれる嬉しさと宮古島自体にも興味を持っていたので、後の仕事の調整を急遽行ないOKの返事をした。

20周年記念式典

本部理事会で20周年記念式典をやることが決まってからしばらく経ったある日、関東甲信越支部長をしていた私は、20周年記念事業実行委員長である喜多副会長に話しかけた。「喜多副会長、この事業は本部と関東甲信越支部が共同で企画運営をすることに決まっていますが、準備開始は早い方が良いと思います。関東甲信越支部がエンジンになってすぐに準備にとりかかりましょうか」と。それに対して喜多委員長から「是非そうして欲しい」という快い返事を頂いた。

支部役員会でそのことを説明すると、よし!!すぐ始めようという空気が一気に高まった。準備が始まって私は驚いた。すごい勢いで動き出したからである。準備作業はスピーディに進み比較的短期間で完了した。

開催日は平成14年(2002年)11月12日、会場は赤坂にある東京全日空ホテル、沖縄支部設立を記念して支部会員全員を招待した。午後1時から日本増改築産業協会第20期通常総会から始まり、リフォームデザインコンテスト全国大会表彰式、セールスコンテスト全国大会表彰式、設立20周年記念式典、記念講演、懇親パーティ、情報交換会「リフォームを語る夕べ」と夜9時まで盛り沢山となり参加者は300人に上った。

特に懇親パーティは活気に満ち溢れ楽しかった。司会は立川談四楼さんで面白い話を含め流暢な語り口で進められた。沖縄から来場した琉球古武芸には度肝を抜かれた。タイムカプセルには「10年後のあなたはどうでしょうか」という課題の元、自由に書いた用紙や名刺を投入し、30周年記念事業の時まで封印して保管することにした。

最後の「リフォームを語り合う夕べ」には30名の会員が集い、サロン風にして本音をぶつけ合い、時間を忘れて語り合った。20周年記念式典の賑わいは今でも強烈な印象として脳裏に浮かんで来る。